坂本龍馬を救った剣豪・三吉慎蔵。寺田屋事件で見せた忠義と、その知られざる生涯とは? (4/5ページ)
坂本龍馬の妻・「お龍」(Wikipediaより)
長州征伐時の慎蔵
寺田屋事件をきっかけとして二人の絆は深まったとされる。その後3人は薩摩軍艦で京都を離れ、龍馬は手傷の療養のためにお龍と共に鹿児島へ。慎蔵は長府藩への報告のため下関で別れた。
慎蔵は寺田屋事件の功により、長府藩から刀の下賜と20石の加増を受け「同藩目附役」に任じられている。幕府軍との戦いとなった第二次長州征伐時では、指揮官であった高杉晋作の元で「報国隊軍監」として戦の勝利に貢献した。
龍馬との盟友関係寺田屋の一件以降、盟友関係を築いた慎蔵と龍馬。
1867年。龍馬は自身が立ち上げた「亀山社中(海援隊)」の拠点を下関に置いた関係で、再び慎蔵と再会する。そして同行していたお龍の面倒を慎蔵に託している。
4月になり、いろは丸事件(イギリスで建造され、大洲藩から海援隊が借り受けた蒸気船いろは丸と、紀州藩の明光丸が瀬戸内海で起こした衝突事故)が起こると、翌月には龍馬から慎蔵宛にお龍の後事を託す手紙(※一部抜粋「万一のご報知仕候時ハ、(略)愚妻おして尊家に御養置可被遺候よふ」)が届いている。
同年11月、近江屋事件で龍馬が暗殺される。慎蔵は生前の約束を守りお龍の面倒をみた。翌年には土佐にある坂本家にお龍を送り届けている。