江戸時代のキャリア官僚「町奉行」過労死も招くほど驚きのブラック労働だった理由 (2/4ページ)

Japaaan

JR有楽町駅前の南町奉行所跡碑(Wikipediaより)

まず、月番の奉行所は明六(午前6時頃)に門を開かれますが、当番方の与力が次々にもたらされる訴訟を受け付け、町奉行はこれらの膨大な書類に目を通すなどの職務を行っていました。

そして明四ツ前(午前10時頃)には江戸城に登城し、勘定奉行、寺社奉行、大目付、遠国奉行らとともに本丸御殿に詰め、ほかの奉行と折衝をしたり、上司である老中の指示を仰いだりしました。

官位は高かった

非番の月には登城はありませんが、職務内容は基本的に変わらず、受理した訴訟の処理などを行います。

町奉行が個々の訴訟について調査することはなく、吟味方与力の中から担当を決めて取り調べを命じていました。

また南・北の両町奉行は、月番の奉行所に集まり、事務連絡や訴訟について話し合う「内寄合」を月3回開いていました。

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