幕末に尊王攘夷を貫き「安政の大獄」で粛清された志士たちの残酷すぎる末路【後編】 (2/5ページ)

Japaaan

吉田松陰は、脱藩や藩籍剥奪なども意に返さないほど、自らの志を曲げない性格の持ち主で、獄につながれることもいとわないほどの強硬な尊王攘夷論者でした。幕府が締結した日米修好通商条約に怒りを覚え、老中首座・間部詮勝(まなべあきかつ)の暗殺を計画しましたが未遂に終わりました。

安政の大獄では、梅田雲浜などとの関わりの疑いで捕らえられます。詮議の結果、疑いが晴れたものの、志を貫き間部詮勝の暗殺計画を進んで自白して斬首となりました。あまりにも生き急いだ29歳の生涯でした。

その他に粛清された人物 略歴

梅田雲浜や橋本左内、吉田松陰の他にも安政の大獄で粛清された人物達がいます。あまり名前は表に出てきませんが、安政の大獄の引き金と言われる飯泉喜内や水戸藩家老の安島帯刀など、略歴も含めて紹介します。

飯泉喜内(いいいずみきない)

始めは土浦藩藩士、後に上京して江戸時代後期の公卿三条実万(さんじょうさねつむ)の家士となります。梅田雲浜や橋本左内らと将軍後継問題で一橋派に属し、ペリー来航に関しても幕政を激しく批判。捕縛されたのは、ロシア人との接触という程度の嫌疑でしたが、押収された書類に多くの尊王攘夷志士たちとの手紙があったことから、危険分子とみなされ斬首となります。享年55歳。

この押収された書類が安政の大獄のきっかけとも言われています。

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