幕末に尊王攘夷を貫き「安政の大獄」で粛清された志士たちの残酷すぎる末路【後編】 (4/5ページ)

Japaaan

将軍後継問題で慶喜擁立を図り、水戸藩京都工作の中心となります。勤王の志士らと通じ尊王攘夷に奔走します。しかし、安政の大獄で捕らえられ、激しい拷問を受けます。拷問は、歩行できなくなるほどのものでした。その後、息子の幸吉らとともに斬首となります。享年62歳。

鵜飼幸吉(うがいこうきち)

水戸藩の京都留守居役助役。日米修好通商条約締結の阻止に奔走し、父鵜飼吉左衛門とともに将軍後継問題で、一橋慶喜擁立を図ります。安政の大獄で捕縛され、父とともに斬首されました。享年32歳。遺体は家僕が変装して刑場に忍び込み持ち帰ったと伝えられています。

茅根伊予之介(ちのねいよのすけ)

水戸藩の郡奉行奥右筆頭取(ぐんぶぎょうおくゆうひつとうどり)。藩校・弘道館の開設にも尽力しました。藩主水戸斉昭とともに尊王活動を精力的に行い、日米修好通商条約の戊午の密勅や将軍後継問題に絡み不穏分子とみなされ、安島帯刀とともに出頭し斬首となりました。享年36歳

日下部伊三治(くさかべいそうじ)

父は薩摩藩より脱藩して水戸藩にいたため、始めは水戸藩士として水戸斉昭に仕え、後に薩摩藩士として復帰。水戸と薩摩に顔が利き、将軍後継問題など攘夷派として奔走しました。戊午の密勅を水戸藩へ届けたのが引きがねとなり捕縛されます。激しい拷問を受けた末に獄中で病にかかり、帰らぬ人となりました。享年46歳。

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