「刀狩り」でも実は武器は奪わず?豊臣秀吉が目指していた本当の支配のカタチとは (3/4ページ)

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「刀狩り」で没収された金属によって造られたとされる方広寺本尊盧舎那仏座像(模像)Wikipediaより

さらに江戸時代にはこの「喧嘩停止令」が法として継承され、百姓身分の武力紛争は禁じられました。しかし秀吉の時代と同様に、武器となる物を所持するだけではお咎めを受けることもありませんでした。

唯一しっかり規制された武器

17世紀末には、村々が農具として所持する鉄砲は、尾張藩で約1600挺、松本藩で約500挺、紀州藩で約300挺など、驚くべき数にのぼります。これらは田畑を荒らす鳥獣の駆除などに使われていました。

これらを武器として争いに用いることは固く禁じられましたが、所持は当然のことと見なされていたようです。

ただし、それでもしっかり規制されたものがあります。それは、身分を象徴するです。

脇差しのような小さな刀は問題なかったのですが、長い柄を持つものや鞘が派手なものを、町人・百姓が所持することは規制されました。外見上、武士との身分差があいまいになるからです。

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