「刀狩り」でも実は武器は奪わず?豊臣秀吉が目指していた本当の支配のカタチとは (2/4ページ)
なぜなら刀狩りの重点は、すべての武器を百姓から没収することではなく、兵農分離のために百姓の帯刀権や村の武装権を規制し、それらを武士の特権とすることに置かれていたからです。
従って、村で日常的に使用する小さな刀や鉄砲・鎗などがすべて没収されることはありませんでした。
村の「合戦」を禁止また刀狩りと並行して、秀吉は村々の武力抗争を規制しています。
用水の使用などをめぐって村々の争いが起きた際には、実は農村でも弓や鎗を持ち出して馬に乗るような、まさに合戦が繰り広げられることすらありました。
しかし秀吉の時代にはこうした村の武力紛争を違法とし、代表者を処刑する判例が多く出されています。
こうした一連の判例は一般に「喧嘩停止令」と呼ばれています。「刀狩り」とこの「喧嘩停止令」の二本柱によって、村々には多くの武器が残ったものの、それらを紛争に使用することは禁じられたのです。