敵将・秀吉も認めた!主君・柴田勝家を救うため命を賭した若武者・毛受勝照の最期【後編】 (1/3ページ)
戦国時代。名を上げ、領土を広げることに夢中な武士たちの中で、ただ一人、主君に真心をつくした若者がいました。その名は毛受勝照(めんじゅ かつてる)。
【前編】に引き続き、主君・柴田勝家に忠義を尽くした毛受勝照の生涯を紹介します。
「我こそ勝家なり」 忠義を貫いた最期
【前編】の記事はこちら↓
「我こそ勝家なり!」主君・柴田勝家を救うため名を偽り討死した若武者・毛受勝照の忠義【前編】それから数年後の1583(天正十一)年のこと。歴史に名を残す大きな戦い――賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いが始まります。
この戦は、本能寺の変のあと、天下の行方をめぐって争われた戦でした。織田信長の死後、その後継をめぐって対立したのが、柴田勝家と、信長の家臣から頭角を現した羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)です。
戦場となった賤ヶ岳は、琵琶湖の北にある山々の一角。
