お盛んだった家康も利用?江戸〜昭和時代まで続いた色街「二丁町遊郭(駿府遊郭)」の栄華と消滅の理由 (4/4ページ)
200年以上にわたって栄えた二丁町遊郭の最盛期は安政6年(1859年)、遊女見習いの禿まで含めて335名の遊女が在籍していたと言います。
一方で妓楼の数は元禄5年(1692年)がピークで、80軒ほどが営業していました。
大小さまざまな妓楼が華を競う中、特に有名だったのが蓬莱楼(ほうらいろう)。開業したのは明治3年(1870年)と武士の世が終わってからですが、日本三大楼の一つにも数えられたとか。
この蓬莱楼は日本で初めて洋装の遊女を採用し、また建物も文明開化に合わせてか洋館風に改装したことにも特色があります。
かくして明治・大正・昭和と存続してきた二丁町遊郭。しかし昭和20年(1945年)6月19日~20日にかけて米軍が無差別爆撃を行いました(静岡空襲)。
二丁町遊郭は全焼してしまい、その後再建されないまま300年以上の歴史に幕を下ろしたのです。
終わりに
今回は駿府の二丁町遊郭について、その歴史をたどってきました。
現代ではわずかにその名残を留めるに過ぎませんが、かつて様々なドラマが描かれたことでしょう。
他の遊郭についても、また改めて紹介したいと思います。
※参考文献:
安藤優一郎 監修『江戸を賑わした 色街文化と遊女の歴史』カンゼン、2018年12月 杉山拓大「駿府二丁町遊廓の遊女屋と遊女」日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan