お盛んだった家康も利用?江戸〜昭和時代まで続いた色街「二丁町遊郭(駿府遊郭)」の栄華と消滅の理由 (3/4ページ)
遊女たちは安心して勤められ、街の女性たちも安心して暮らせるでしょう」
とか何とか。家康がその理屈に納得したのか、あるいは師匠に頭が上がらなかったのでしょうか。
ともあれ許可を得た勘右衛門は、駿府郊外の安倍川沿い、禁教前に耶蘇寺があった土地二丁四方(約一万坪)の土地を購入します。
ここに遊郭を開設し、自身も妓楼「伏見屋」を出店しました。これが二丁町遊郭の始まりと言われています。
老いてなお盛んだった家康もお忍びで利用した……記録はないものの、彼ならやりかねませんね。
約300年にわたって営業するも、空襲で焼失
歌川広重筆「五十三次名所図会 府中 安部河みろく 二丁町」拡大
遊郭の開設当時、駿府城下には96の町がありました。
うち7町が遊郭で、やがて江戸に吉原遊廓ができると5町がそちらへ移転していきます。
残った遊郭は2町。これが二丁町遊郭という呼び名の由来になったとか。
また一説には、最初に購入した用地が二丁四方だったから、とも言われるそうです。
そんな二丁町遊郭は駿河国内でも格式が高く、張見世に出た遊郭たちは客に正面を向かず、横顔しか見せませんでした。