【大河べらぼう】誰袖花魁を身請けするも横領が発覚「土山宗次郎(栁俊太郎)」が辿った非業の末路 (5/6ページ)
中には極寒や壊血病で客死する者もおりましたが、数々の苦難を乗り越えて、多大な成果を上げたのでした。
後に蝦夷地調査の結果として『蝦夷拾遺』が執筆され、アイヌ文化やロシア文化に関する綿密な調査報告がなされます。
しかし彼らの偉業が田沼政権とともに葬り去られようとは、当時誰が予想できたでしょうか。
驕れる者、久しからず
過酷な蝦夷地調査が行われていた一方で、田沼政権の宗次郎は豪遊三昧。吉原遊郭で派手に遊び、大文字屋の誰袖花魁を1,200両(約1億2千万円)という大金で身請けするなど、とかく評判でした。
宗次郎と親しかった大田南畝(おおた なんぽ)はこんな狂歌を詠んでいます。
我恋は 天水桶の 水なれや 屋根よりたかき うき名にぞ立つ
【意訳】私の恋は、天水桶の水のようだ。屋根より高く浮名が立っている。
天水桶とは雨水を貯めておき、防火用水として用いるための桶です。火災が起こると屋根の上から水をかけて消火に努めることから、よほど高い浮名(男女関係の評判)が立っていることを表現したのでしょう。
また自身も狂歌師として活動しており、その狂名を軽少ならん(けいしょう -)としています。これは清少納言(せい しょうなごん)のもじりで「取るに足りない」という意味です。