弟を謀殺、父の葬儀で愚行!織田信長の天下人のイメージが覆るありえない破天荒エピソード (3/6ページ)
とはいえ人数的には1/3くらいで超劣勢の中、義元の首のみを目指して織田軍は突っ込んでいき、東海地方随一の戦国大名・今川義元を討ち取ってしまうのです!
お伽話のようなミラクルを起こした桶狭間の戦いはまさしくナンバーワン破天荒エピソード!
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奇襲ではなく最適解だった!?「桶狭間の戦い」で織田信長が採用した王道の戦略 比叡山焼き討ち信長の破天荒エピソードはさらにエスカレートしていきます。時は10年ほど下って1568年、38歳の時に信長はとんでもない事件を起こします。
室町将軍・足利義昭を奉じて上洛し、紆余曲折を経た後、彼の天下統一を阻んだのは寺社勢力でした。中でも手を焼いたのは比叡山延暦寺。
当時の延暦寺は絶大な権力を誇り、貴族らの寄進を受け大きな領地を所有していたほか、滋賀の坂本の港を所有して通行料を得て莫大な資産を蓄えていました。それでも僧侶全員が真面目に修行しているならいいのですが、権力にかこつけて一部の僧は女色にふける生臭ぶり。
挙句、敵対する戦国大名、浅井・朝倉氏に協力して匿ったり、武装した僧兵も増加の一途、正直信長の神経逆撫でしまくっていました。
怒りを募らせた結果、1571年(元亀2年)9月に起こったのが比叡山焼き討ちでした。
