「写真でピース」日本初はこの人!数多くの”日本初”を持つ男・久留島武彦の偉業とは

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「写真でピース」日本初はこの人!数多くの”日本初”を持つ男・久留島武彦の偉業とは

「継続は力なり」……物事を続けることの大切さを説いたこの言葉からは勇気をもらえます。座右の銘にしている、という方もいるかもしれませんね。

そんな「継続は力なり」というフレーズの生みの親が、今回の記事で取り上げる「久留島武彦(くるしまたけひこ)」です。

出典:久留島武彦記念館 公式ページより

児童文学者である彼は、実はさまざまな「日本初」という偉業を成し遂げた人物でもあったんです。

久留島武彦の先祖は、村上水軍の一族

久留島武彦は、1874年、森藩(もりはん:江戸時代に豊後国日田郡・玖珠郡・速見郡内を領した藩)にて、父・久留島通寛(みちひろ)と母・恵喜のあいだに生まれました。

大分中学(現・大分県立大分上野丘高等学校)に入学すると、彼は英語教師をしていたアメリカ人宣教師のS・H・ウェンライトと出会います。ウェンライト夫妻の影響を受け、日曜学校で子どもたちにお話を語る楽しさを知ることに。また、彼はキリスト教の洗礼を受けました。

久留島武彦の日本初:現役兵士による兵隊物語を発表

久留島は、1894年、日清戦争の始まりに伴い、東京近衛師団近衛歩兵第1連隊に入隊します。1895年には、戦地から雑誌『少年世界』に作品を投稿。尾上新兵衛(おのえしんべえ)というペンネームを使ってはいたものの、これは日本初の現役兵士による兵隊物語でした。

久留島武彦の日本初:児童文学に関する活動

久留島の大きな功績が、児童文学におけるさまざまな活動です。たとえば、1903年には、口演童話会とお伽芝居を開催し、いずれも日本初の試みでした。これをきっかけに、彼は6000を超える幼稚園・小学校で口演童話会を行いました。

また、日本初の週刊子ども新聞『ホーム』の創刊や、日本初の専門児童劇団「東京お伽劇協会」の設立、自身が書いた「新桃太郎」が日本初の児童劇映画になるなどの功績があります。

さらに、現代にもつながるボーイスカウトを、日本で初めて雑誌『お伽倶楽部』を通じて紹介したり、アメリカからモンテッソーリ教具を持ち帰るといった功績もあります。

久留島武彦の日本初:写真を撮るときの「ピース」をした

意外かつおもしろい日本初もあります。彼は、1913年、日本で初めて写真を撮るときに「ピース」をした人物だと言われています。

また、前述しましたが、座右の銘にしている人も多いであろう「継続は力なり」というフレーズを広めたのも彼なんです。

久留島武彦が「日本のアンデルセン」と呼ばれた理由

久留島は、1924年、デンマークで行われたボーイスカウトの第2回世界ジャンボリーに、日本の派遣団副団長として参加しました。

デンマークといえば、かの有名な童話作家・アンデルセンの故郷。しかし、久留島はアンデルセンの生家が物置同然に扱われていたり、アンデルセンの墓が手入れもされず荒れ放題だったことに心を痛めました。そこで、地元の新聞から取材を受けた際に、その状況を非難したといいます。また、行く先々でアンデルセンのすばらしさを伝え、これがデンマークで評価されるきっかけとなりました。

こうした久留島の活動に心動かされたデンマークの人々は、彼のことを「日本のアンデルセン」と呼ぶようになったのです。

大分県には、「久留島武彦記念館」もありますので、気になる方はぜひ訪れてみてはいかがでしょうか?

久留島武彦記念館

場所:〒879-4404 大分県玖珠郡玖珠町大字森855番地
開館時間:9時30分〜16時30分
休館日:月曜日(祝祭日の場合は翌日)、年末年始(12月28日〜1月4日)
公式ページ

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