平安時代に“不動産王国”を築いたお姫さま「八条院」晩年の悲運と莫大な荘園のゆくえ【後編】 (1/2ページ)

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平安時代に“不動産王国”を築いたお姫さま「八条院」晩年の悲運と莫大な荘園のゆくえ【後編】

「荘園」とは、田んぼや山林を貴族や寺社が所有し、そこで働く人々から年貢を受け取る仕組みです。

土地が増えれば増えるほど、収入や政治的な影響力も大きくなります。今でいえば、不動産をたくさん持つ大地主が、社会のルールや流れにまで力を及ぼしていたようなものです。

そんな「荘園王国」を築き、平安末期から鎌倉初期にかけて特別な存在感を放った女性がいます。それが八条院(はちじょういん)です。

八条院像(安楽寿院蔵)

【前編】では、八条院(暲子内親王)が父・鳥羽上皇と母・美福門院から受け継いだ荘園によって、膨大な「八条院領」を築いたことをお話ししました。

平安時代に“不動産王国”を築いたお姫さま「八条院」晩年の悲運と莫大な荘園のゆくえ【前編】

では、その後の彼女はどのように生き、またその遺産はどこへ行ったのでしょうか。

平家との緊張、血縁を守る決断

1180(治承4)年、後白河法皇の皇子・以仁王(もちひとおう)が「平氏を討て」と呼びかけて挙兵しました。

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