日本三大悪女・日野富子、実は濡れ衣?彼女が「応仁の乱」の元凶とされた3つの理由とは (4/6ページ)

Japaaan

当時は乳幼児の死亡率が非常に高いため、義尚が元服するまでは、義視を中継ぎの将軍としておくのが現実的でしょう。

義政もそう考えていたようで、義尚が生まれてからも義視を順調に昇進させるなど、将軍候補としての扱いを変えませんでした。

これらの状況から、富子にとって義視は邪魔者ではなく、むしろ頼もしい義弟だったと思われます。

実際に富子は妹を通じて義視と仲がよかったようで、足利将軍家だけで見れば、応仁の乱は勃発しなかったかも知れません。

ちなみに応仁の乱が起こった(戦乱が大規模化した)キッカケは、畠山政長と畠山義就の家督争いに山名宗全が軍事介入したことでした。

義政は両者の争いについて、誰も介入しないよう釘を刺していたものの、山名宗全はこれ無視して畠山義就を支援します。

言いつけを守った細川勝元は畠山政長を見捨てた形となり、評判を落としてしまいました。

こうなると兵を挙げない訳には行かなくなり、山名宗全&義就らとの全面戦争に突入していくことになったのです。

富子が「応仁の乱」勃発の濡れ衣を着せられた理由は?

守銭奴として悪名高かった日野富子。日頃のヘイトが、彼女に濡れ衣を着せてしまった(イメージ)

富子には義視を排除する≒乱を起こす理由がありませんでした(むしろいてくれなくては困ります)。

それではなぜ、富子は乱の黒幕とされてしまったのでしょうか。

もし富子が清廉潔白であるなら、誰かが富子を悪者に仕立て上げても否定されるはずです。

しかし人々は、富子が乱の黒幕であると信じて疑いませんでした。

実は乱と無関係に、富子は日頃から嫌われており、それで濡れ衣を着せられてしまったのでした。

富子が嫌われ、濡れ衣を着せられた理由は以下の通りです。

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