朝ドラ『あんぱん』作曲家の頂点から突然の別れ…いせたくや(大森元貴)のモデル・いずみたくの生涯 (3/5ページ)
演劇と音楽の道への船出
戦後、いずみたくは東京に戻り、新たな道を歩み始めます。
たくは、東京府立第五中学校に編入。昭和21(1946)年には開校されたばかりの鎌倉アカデミア演劇科で学び始めます。
昭和25(1950)年には舞台芸術学院演劇科を卒業。しかしこの頃には、すでに音楽への道を見定めていたようです。
たくはダンプの運転手をしながら、作曲家・芥川也寸志に師事。作曲家への道を歩み始めました。
さらに三木鶏郎の冗談工房に参加。トリローグループの一員として、放送・CMの現場で作曲の腕を磨きました。
昭和30(1955)年、いずみたくは朝日放送「ホームソング・コンクール」でグランプリを獲得。プロの作曲家としての歩みを決定づけました。
彼のモットー「歌はドラマである」は、のちのミュージカル創作と商業音楽を橋渡しするキーワードになった。初期から一貫して、街と人の息遣いを素材に、旋律を物語として立ち上げるスタイルが形成されていく。