朝ドラ『あんぱん』作曲家の頂点から突然の別れ…いせたくや(大森元貴)のモデル・いずみたくの生涯 (5/5ページ)
昭和51(1976)年、同劇場でやなせたかしの手がけた舞台「怪傑アンパンマン」が上演。たくは制作として携わりました。
国民的作曲家となりながらも、たくは歩みをとめません。
昭和52(1977)年、ミュージカル専門の劇団イッツフォーリーズを創設。『洪水の前』『歌麿』などで芸術祭諸賞・紀伊國屋演劇賞特別賞を受け、歌謡・舞台の両輪で「大衆芸術をつくる作曲家」の姿を確立しました。
参議院議員としての3年と、突然の別れ作曲家として不動の地位を築いたいずみたくでしたが、次の目標ができていました。
昭和61(1986)年、第二院クラブから参議院比例区に出馬。落選したものの、平成元(1989)年に同党の青島幸男が辞職したことで繰り上げ当選を果たしました。
音楽の第一線にいた彼にとって、特に重視したのが文化・教育政策に関わる審議です。
当時の日本は、世界第2位の経済大国でした。しかしたくは、国の文化・芸術への予算配分が十分でないとして、予算増額を訴えます。
自分の道を歩んでいたたくでしたが、残された時間はわずかでした。
参議院議員の任期途中の平成4年5月11日、いずみたくは病没。享年62。
一世を風靡した大作曲家でありながら、決して人々の求めるものを忘れず、常に新しいものを追い続けた生涯でした。
『アンパンマン』の作者・やなせたかし。彼との親交はお互いを高め合って行った。
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