江戸は“カフェ文化”の先駆け!?おかず、おやつ…江戸庶民が生んだ様々な日本の食文化の始まり (2/3ページ)

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大店が集まる繁華街はもちろんのこと、火事が多かった江戸に設けられた火除け地である広小路には、恒久的な建物を建てることが禁止されていたため、床店(床見世)と呼ばれる移動式店舗や、よしず張りの見世物小屋などが並びました。

特に両国広小路(現在の東日本橋あたり)江戸一の賑わいといわれました。

日本のカフェ

ところで、時代劇では茶屋がよく登場しますが、この、いわば日本版の「カフェ文化」が流行したのにも理由があります。

関西ではお茶を煮出してつくり置き、客に提供していましたが、江戸では注文ごとに茶こしに茶を入れ、熱湯を注いで提供していました。これは濾茶と呼ばれました。

江戸後期の『守貞漫稿』には、「京都・大坂の粗茶の宿煮(煮出した茶)よりも濾茶の方がはるかにまさっている」とあるほどです。

こうしたお茶と団子などを供する茶屋・水茶屋が出現したのが江戸初期の寛文・延宝年間(1661~1681)の頃だといわれているので、江戸では早くからカフェ文化が広まったことがわかります。

ちなみに腰掛茶屋の場合、お茶一杯が大体5文(100円)程度でした。現代のカフェでは、少し気の利いたコーヒーでも700円くらいはしますが、当時のお茶一杯は自動販売機程度の値段だったことになります。

『鬼平犯科帳』の「兇賊」には、居酒屋・加賀やが登場しますが、この居酒屋が誕生したのが江戸の鎌倉河岸でした。

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