奈良・明日香村「菖蒲池古墳」の謎──被葬者は、蘇我蝦夷・入鹿か、それとも石川麻呂か? (4/5ページ)

Japaaan

小山田古墳(撮影:高野晃彰)

これを契機に、『日本書紀』の記述に従えば、「小山田古墳」を蝦夷の大陵(おおみささぎ)、「菖蒲池古墳」を入鹿の小陵(こみささぎ)とする説が唱えられるようになった。しかし一方で、「小山田古墳」を舒明天皇の初葬墓とする説も有力である。

山田寺跡(撮影:高野晃彰)

さらに「菖蒲池古墳」を、大化の改新の際に中大兄皇子側についたものの、649年(孝徳5年)に謀反の罪を問われて山田寺で自害した蘇我倉山田石川麻呂と、その嫡子・蘇我興志(こし)の墳墓とみなす説もある。そう考えれば、石棺が縦に二つ並ぶ構造は、石川麻呂・興志父子の墓と解釈することも可能となる。

いずれにせよ「菖蒲池古墳」は、大化の改新前後の歴史を解明するうえで、最も重要な遺跡の一つといえよう。

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