奈良・明日香村「菖蒲池古墳」の謎──被葬者は、蘇我蝦夷・入鹿か、それとも石川麻呂か? (1/5ページ)

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奈良・明日香村「菖蒲池古墳」の謎──被葬者は、蘇我蝦夷・入鹿か、それとも石川麻呂か?

日本古代史上の大事件として知られる「大化の改新」。その発端となった645年の乙巳の変では、古代豪族・蘇我氏の本宗家が滅亡した。中大兄皇子と中臣鎌足らの手によって討たれたのは、蘇我蝦夷・入鹿父子である。

彼らの墳墓については古来さまざまな説が唱えられてきたが、近年注目されているのが、奈良県明日香村にある「菖蒲池古墳(しょうぶいけこふん)」だ。

今回は、この菖蒲池古墳をめぐる謎について紹介していこう。

菖蒲池古墳(撮影:高野晃彰)

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終末期の古墳上、極めて精巧に造られた2基の家形石棺

菖蒲池古墳は、蘇我蝦夷・入鹿父子の邸宅があったとされる甘樫丘のほぼ南端、橿原市南東部の明日香村境界付近に位置している。

墳丘の形状は長らく不明とされていたが、2010年(平成22年)の発掘調査によって、一辺約30メートルの二段築成の方墳であることが判明した。

菖蒲池古墳は、墳丘の形状以上に、古くから非常に精巧に造られた2基の家形石棺が存在することで知られていた。

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