江戸時代の百姓一揆はなぜ“再び暴力化”したのか?「天明の飢饉」と田沼意次による改革の代償 (1/4ページ)
再暴力化する一揆
戦国時代の血で血を洗う殺し合いの時代の経験を経て、江戸時代の太平の世は実現されました。
太平の世とはつまり「暴力で解決するのは割に合わない」とみんなが気付く時代のことです。
「暴力で解決は割に合わない!」江戸時代の百姓一揆で武器が使われなかった合理的すぎる理由それゆえ、島原一揆による支配階級と農民の苛烈な殺し合いを経て、百姓一揆の作法はより穏健なものへと変わっていきました。また支配階級側も、暴力による弾圧ではなく「仁政」によって農民たちを統率しようとします。
しかし時代が下り、幕藩体制が崩れると、百姓一揆の作法もまた揺らいでいきました。研究では、その画期として二つの時期が指摘されています。
画期となったのは一八世紀後半です。この時期には商品経済の発達にともなって百姓一揆が広域的になりました。
