大学山岳部・ワンダーフォーゲル部の歴史を紐解く!その成り立ちと衰退は日本のアルピニズム史と共にあった (2/4ページ)

Japaaan

ベルナーアルプスの一峰でスイスを代表する山・アイガー

槇は本場のアルピニズムを携えて帰国し、日本に「岩と雪の時代」をもたらします。その最初期の成果が、1922年(大正11)年の慶應学習院合同隊による積雪期槍ヶ岳初登頂でした。

この新たな動きに刺激され、1920年代には明治大学、東京帝大立教大学、日本大学、東京農業大学、法政大学、北海道大学などで山岳部が相次いで誕生したのです。

戦前、大学山岳部は日本の登山をリードし、多くの山で積雪期初登頂やバリエーションルートの開拓が行なわれました。

日本人初のヒマラヤ登山であるナンダ・コット初登頂も立教大学山岳部隊によって成し遂げられています。

「ワンダーフォーゲル」の台頭と衰退

戦争で停滞していた学生登山は戦後に再興します。しかし、その様相は戦前とは異なっていました。

50年代以降、多くの学生が山岳部ではなくワンダーフォーゲル(以下、ワンゲル)部で山を楽しむようになったのです。

よって、ワンダーフォーゲル部の創部は戦後の50~60年代が圧倒的に多いです。

大学で初めてワンゲル部ができたのは1935(昭和10)年の立教大学と慶大学で、同時期に明治大学でも設立されました。

「大学山岳部・ワンダーフォーゲル部の歴史を紐解く!その成り立ちと衰退は日本のアルピニズム史と共にあった」のページです。デイリーニュースオンラインは、山岳部ワンダーフォーゲル登山カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る