大学山岳部・ワンダーフォーゲル部の歴史を紐解く!その成り立ちと衰退は日本のアルピニズム史と共にあった (3/4ページ)

Japaaan

戦後になると、国の青少年育成運動を受けてキャンプやユースホステルなどのレクリエーションが流行し、その流れを受けて全国の大学にワンゲル部が創設され人気を集めます。

60年代には大幅な部員増加が始まり、大学によっては100人を超える時期が続きました。

一方、山岳部では60年代半ば、すでに「部員数の減少」が議論されるようになります。その原因については「山岳部へ入らなくとも山に登れる」「大学山岳部イコール遭難」などのイメージが強かったためです。

登山グループのイメージ

その後、全国の大学では体育会系の部員数が減少し、同好会やサークルにの現役メンバー人が集まる時代へと移っていきます。

この流れでワンゲル部の部員も減っていきましたが、それでも毎年数十人が所属して安定し活動を展開していました。

大学山岳部はといえば、70年代以降「低迷」「凋落」「衰退」などの言葉が決まり文句のように言われ続けるようになります。

実際、多くの山岳部で部員減少が常態化し、国内外のバリエーションルートの初登攀など先駆的な記録の多くは社会人山岳会のクライマーによって成されていきました。

鍛錬の場として

それでも、東大隊のシブリン北稜(80年)やK7初登頂(88年)、早稲田大学隊のK2西稜(81年)、北海道大学隊のダウラギリ峰冬季初登頂など、エポックメイキングな登山も継続的に実践されてきました。

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