【べらぼう外伝】武士から戯作者に…義賊「自来也」を生み出した感和亭鬼武とは何者? (1/4ページ)
本業のかたわらに筆をとり、江戸の文芸文化を花開かせた戯作者たち。
その本業は様々であり、職業経験を創作に活かした者もいたことでしょう。
今回はそんな戯作者の一人・感和亭鬼武(かんわてい おにたけ)を紹介したいと思います。
果たして彼は何者なのでしょうか。
武士から戯作者へ感和亭鬼武は宝暦10年(1760年)に誕生しました。
本名は前野曼七(まえの まんしち。又は前野曼助)、元は一橋家(御三卿の一)に仕える勘定方だったと言います。
また神道無念流剣術を使う文武両道の士でしたが、訳あって隠居。武士を辞めてしまいました。
隠居の理由が何であったのかは、よく分かっていません。隠居後は飯田町(千代田区)そして浅草へ移り住み、絵画と戯作を手がけるようになります。
絵画は谷文晁(たに ぶんちょう)、そして戯作は山東京伝(さんとう きょうでん)に学び、十返舎一九(じっぺんしゃ いっく)らと交流しました。
文化3年(1806年)には代表作となる『報仇奇談自来也説話(かたきうち きだんじらいやものがたり)』を出版します。
義賊・自来也とは