朝ドラ「ばけばけ」実際も追い詰められ出奔…山根銀次郎(寛一郎)のモデル・前田為ニの失踪とその後 (2/6ページ)
黒船来航によって幕府の権威が失墜。水戸や長州などを中心に尊皇攘夷派が台頭していました。
鳥取藩では、水戸藩主であった徳川斉昭の五男・池田慶徳が藩主に就任。文久3(1863)年6月には、長州藩についでイギリス船に砲撃を仕掛けて攘夷を実行に移しました。
加えて慶徳は、15代将軍・徳川慶喜の兄という立場でもあります。
身分社会?騎士・徒士・卒の武士の3区分
前田為ニが生まれたのは、鳥取藩の足軽の家でした。
足軽は武士の中でも最も軽輩であり、身分が低い立場とされています。ではどのような位置にいたの考えていきましょう。
全国には、藩の中で武士の身分は大きく3つに分けられていました。
頂点となるのが騎士(きし)。その名の通り、馬に乗ることが許可されています。藩でいえば藩士たちを指導する上役の立場です。
その下が徒士(かち)。騎士と違って徒歩で勤める下層武士の階級です。場内警固や先駆けを行う立場でした。
そして最下層が足軽です。戦場で言えば歩兵の立場であり、上記の士分(騎士・徒士)とは異なります。