2026年大河【豊臣兄弟!】主人公・豊臣秀長(仲野太賀)をとりまく正室や側室、妾たちの顔ぶれ紹介 (5/6ページ)

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※ここで初めて出家した説もあり。

また天正20年(1592年)には秀長の側近となっていた父・伝左衛門が75歳で世を去っています。

文禄4年(1595年)4月に娘婿の豊臣秀保が世を去り、秀長の家系が断絶すると、彼女は秀吉から大和国新堂村(奈良県橿原市)200石を与えられました。

これは彼女個人に対するものではなく、興福院に対する寄進であったとも言われています。

元和6年(1620年)1月に心慶が亡くなると、光秀尼が跡を継いで興福院の院主となりました。

そして元和8年(1622年)2月8日に71歳で世を去ります。法名は藤誉光秀大姉(とうよ こうしゅうだいし)・摂取院藤誉光秀比丘尼(せっしゅいん とうよこうしゅうびくに)。興福院に祀られています。

秀長の妾?大善院母

実在した?大善院母(イメージ)

生没:生没年不詳 実名:不詳 別名:不詳 家族:不詳 子女:おきく(大善院)か? 養子:特になし 備考:光秀尼と同一人物説も。

先ほど紹介した『奈良名所八重桜』の信憑性に疑いがあり、おきくの生母は光秀尼ではなく別人物では?という説もあるようです。

もし別人物の場合、公に記録が残せないような卑賤の女性であったのでしょう。

秀長が何者かに産ませた(産ませてしまった?)おきくを、光秀尼の娘として扱った可能性も考えられます。

果たして、実際のところはどうなのでしょうか。

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