朝ドラ「ばけばけ」実際に物乞いまで落ち、その後は…雨清水タエ(北川景子)のモデル・小泉チエの生涯 (4/5ページ)
朝ドラ「ばけばけ」雨清水傳(堤真一)のモデル、幕末の長州征伐で武功を挙げた小泉弥右衛門湊の晩年の苦境
明治8(1875)年、チエの夫・湊は秩禄を奉還。代わりに金子を調達し、工場を築いて機織会社を始めました。これにより、小泉家では多くの士族の子女を雇い入れて困窮を救おうとします。
時同じくして、セツのいる稲垣家では商売に失敗。セツは教師の夢を断念して湊の機織工場で11歳から働き始めます。
小泉家の紡績会社は、一時期は販路を大阪にまで拡大。好調な業績を挙げていったかに見えました。しかし業界全体の斜陽に向かっていたこともあって、業績は徐々に悪化。工場の担当であった長男・氏太郎が町娘と駆け落ち同然で出奔するなどの悲劇も続きます。
この頃の夫・湊はリウマチが悪化して床に伏せるようになっていました。しかし妻のチエは生粋のお嬢様であり、家事は愚か看病もろくにできません。
記録によると、この頃のチエは教養豊かな武家の娘ゆえに生計労働への適応が難しかったことがわかります。そこで実の娘のセツが湊の看病をしていました。
明治18(1885)年、夫の湊が病没。三男・藤三郎が家業を継ぎますが、家運は急速に傾いていきました。
やがて機織会社は倒産。小泉家は没落することになります。
機織会社が倒産後、チエはどうしたのでしょうか。
チエは物乞いとなるまでに落ちぶれ…記録によると、物乞いとなるまでに落ちぶれていたようです。
