【べらぼう】史実では蔦重(横浜流星)とてい(橋本愛)の子はどうなった?二代目以降の蔦屋重三郎を紹介 (2/4ページ)
依而(よって)二代の家名を相続す……
※山東京山『蛙鳴秘抄』より
二代目蔦重を襲名した勇助は葛飾北斎(くっきー!)を抜擢、また蔦屋と疎遠になっていた喜多川歌麿(染谷将太)との関係回復に努めたそうです。
三代目・蔦屋重三郎
生没:生年不詳~弘化元年(1844年)9月6日
実名:祐助
出身:二代目の次男
家族:兄・尾州永楽屋
戒名:得法院志雲日信士
三代目蔦重は二代目の息子、兄は尾張国へ移住して永楽屋を継ぎました。
……三代目 尾州永楽屋の弟 今の蔦屋重三郎也……
※霜傑亭越智直澄『牛の歩行』より
劇中でも初代蔦重と永楽屋東四郎(佃典彦)が仲良しだったので、その後もつながりがあったのでしょうか。
次第に経営が傾いてきたのか、天保8年(1837年)に吉原細見の株(出版権)を伊勢屋三次郎(いせや さんじろう)に売却しました。
初代蔦重が出世の足がかりとしてきた吉原細見を手放すとは、よほど追い詰められていたようです。