【べらぼう】史実では蔦重(横浜流星)とてい(橋本愛)の子はどうなった?二代目以降の蔦屋重三郎を紹介 (3/4ページ)

Japaaan

四代目・蔦屋重三郎

戯作者・狂歌師として活躍した四代目蔦屋重三郎(イメージ)

生没:生年不詳~文久元年(1861年)10月1日 実名:不詳 戯号:三亭春馬(さんてい しゅんば。二代目) 戒名:■心院義覚日慈信士
※■は判読できず。

三代目とのつながりは不明ですが、傾きつつあった蔦屋耕書堂を建て直すため、四代目を襲名しました。

しかし奮闘虚しく、幕末の文久元年(1861年)に蔦屋耕書堂は板元を廃業。安永2年(1773年)の創業から80年以上に及ぶ歴史に幕を下ろしたのです。

その呵責なのかは分かりませんが、同じ年に世を去ってしまいました。

ちなみに戯作者や狂歌師としても活躍しており、プロデューサーよりもクリエイター向きの人材だったのかも知れません。

五代目・蔦屋重三郎

耕書堂を明治まで延命した五代目蔦屋重三郎(イメージ)

生没:生没年不詳 実名:喜多川竹吉(たけきち) 家族:実父 喜多川松芳(まつよし)、兄(実名不詳) 職業:本屋(小売業)

喜多川氏の分家に当たり、四代目の廃業&死去にともない五代目蔦屋重三郎を襲名しました。

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