【べらぼう】実は子だくさん!ハメられ失脚した松平定信、実際のプライベートや妻子たち (5/6ページ)
七女・実名不詳 生没:不詳 母親:貞順院 伴侶:不詳 実子:不詳
『寛政重脩諸家譜』には、その存在と母親のみ記録されており、詳細は不明です。
八女?福姫(智徳院) 生没:不詳 母親:不詳(隼姫の可能性も?) 伴侶:松平定則(さだのり)正室 実子:なし 備考:三女の可能性も?伊予国松山藩(愛媛県松山市)の第10代藩主・松平定則と結婚するも、定則は文化6年(1809年)に15歳という若さで世を去ってしまいました。
ちなみに『寛政重脩諸家譜』では定信の三女が「松平立丸(たつまる。定則の幼名)と婚約した」旨が記録されており、実は彼女が定信の三女だった可能性も考えられます。
松平定信のプライベートはどんな感じ?
ほとほと疲れ切った定信。妻たちは喧嘩していないで、彼を癒やしてあげてほしい。NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」公式サイトより。🄫NHK
ここまで松平定信の妻たち・子供たちについて紹介してきましたが、それで定信のプライベートはどんな感じだったのでしょうか。
それを具体的かつ詳細に記録した史料は見つかりませんが、もしかしたら、継室(隼姫)と側室(貞順院)の板挟みとなっていたのかも知れません。
どちらとも多くの子を授かっているので、どちらかを疎遠にしたということはないでしょう。後にオットセイ将軍と呼ばれた徳川家斉には及ばないものの、定信もなかなかマメだったようです。