“奇兵隊=高杉晋作”は誤解。「奇兵隊」設立の経緯と高杉の動向を並べて見える驚きの史実 (2/4ページ)

Japaaan

高杉晋作(Wikipediaより)

司馬遼太郎も『世に棲む日々』の中で吉田松陰と高杉晋作を描ていますね。その中で、奇兵隊についても「身分制度を超えた新しい軍隊」と評価しています。

そしてそれを運用した高杉晋作を「長州藩を狂気じみた、凄まじいまでの尊王攘夷運動に駆り立て」た人物として描いています。

黎明期はほぼ無関係

さて、ところがその高杉晋作と奇兵隊は、一般に思われているほど関係が深くないのです。

奇兵隊は文久三年(1863年)、長州藩が四国艦隊に惨敗させられた年、高杉晋作の意見をもとに設立されました。吉田松陰の著した『西洋歩兵論』に基づいて組織されたとも言われています。

ちなみに「奇兵」とは「正兵」つまり藩士からなる正規兵ではないという意味です。つまり奇兵隊は長州藩独自の固有名詞ではありません。後年、西郷隆盛が西南戦争で率いた農民兵も奇兵隊と呼ばれていました。

さて、奇兵隊が組織されると、諸身分階層の混成部隊で僧・力士・町人・漁師など、武士以外からなる部隊も多く作られました。

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