“奇兵隊=高杉晋作”は誤解。「奇兵隊」設立の経緯と高杉の動向を並べて見える驚きの史実 (1/4ページ)
「新しい軍隊」
奇兵隊と高杉晋作は、幕末ものの小説やドラマでよく取り上げられる組織と人物です。もちろん教科書でも明記されていて、大抵は次のような文脈で説明されています。
《高杉晋作・桂小五郎(木戸孝允)らの長州藩尊攘派も、下関で四国艦隊に惨敗し、ついに攘夷の不可能を悟った。いったんは幕府に屈服した長州藩だが、高杉らは先に組織した奇兵隊を率いて1864年(元治元年)末に兵をあげて藩の主導権を保守派から奪い返し、領内の豪農や村役人と結んで、藩論を恭順から倒幕へと転換させ、イギリスに接近して大村益次郎らの指導のもとに軍事力の強化につとめた。》『詳説日本史B』山川出版社P257)
※参考記事↓
あまりにもブラックすぎ…身分差別や強制入隊、突然のクビ…美化されすぎた「奇兵隊」の真実この「兵をあげて」とあるのは功山寺挙兵といわれる事件で、当時は高杉晋作と奇兵隊が藩内革命の中心であり、藩の軍事力強化に重要な役割を果たしたことが分かる記述です。
