『べらぼう』実は写楽は外国人!?謎の浮世絵師・東洲斎写楽はオランダ人「シャラック」だった説 (5/9ページ)

Japaaan

当初、役者本人やファンには不評だった写楽の画ですが、その秀でた描写力や個性がのちの才能への評価にとつながっていくのは皮肉なものです。

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画風は変化し、あってはならないミスも連発

寛政6年(1794)5月にデビュー後、写楽は7月に第二弾の作品群を発表。全身絵が増え、興行主からの挨拶を描いた「楽屋頭取口上の図」や「細絵」も描いています。

そして11月の第三期は、顔見世狂言を描いた物、間版サイズの大首絵、亡くなった役者を追悼する「追善絵」を描いていますが、デビュー当時のインパクトは影を潜め、徐々に筆力の衰えが目立つようになりました。

また、間版シリーズでは5点に屋号や俳名の誤記が発見。

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