大奥、崩壊寸前…女中たちが通い詰めたイケメン僧侶・日潤——禁断スキャンダルの末の破滅的な結末 (3/3ページ)
男性と触れ合う機会などない身分の高いお嬢様や奥女中たちはもうメロメロです。特に常に男性飢餓状態の大奥では、この延命院の秘密の日潤サロンの噂が爆発的に広まったのです。
お寺が夜のお店状態!?江戸後期、あまりにイケメンなため女性信者に爆発的人気を誇った日暮里の延命院の僧侶・日潤。彼はその人気に乗じて、大名家の娘や奥女中などの身分の高く権力を持つ女性信者に裏で性的サービスを施し、心酔する彼女たちの力を利用して寺の出世と金儲けを目論みました。
やがて大奥中に日潤の裏サービスの噂は広まり、奥女中たちは外出休暇が取れた時には集団で延命院に通ってくるようになりました。集団が訪れてサービスが日潤1人で回しきれなくなると、彼は寺の若い坊主たちにまで奥女中たちの相手をさせるようになりました。寺全体がなぜか夜のお店のような状態になってしまったのです。
寺社奉行、動く!寺に通う奥女中が増えれば増えるほど、日潤の怪しい活動は隠すことが難しくなり、やがてついに寺社奉行の脇坂安董(わきさかやすただ)に「延命院が怪しい」と嗅ぎ付けられました。しかし、身分が高い奥女中が関係する事なので簡単には運ばず、このスキャンダルを暴くには相当用意周到にしなければなりませんでした。
そこではっきりと証拠をつかむために、脇坂は女密偵を奥女中の付き人に紛れ込ませて延命院に送り込みました。その結果、本堂の内部にある特別サービスが行われていた隠し部屋が発見され、享和3(1803)年5月26日、脇坂自らが延命院に踏み込んで日潤や加担していた若い坊主たちを一斉検挙。ついに日潤の悪行は暴かれたのでした。
日潤、あえなくお縄にお縄にかかった日潤は、その約2か月後の7月29日に処刑されました。現代からするとかなり厳しい処分に思えますが、当時はそれほど僧侶の女犯は重い罪だったのです。
日潤は元々は顔だけでなく説法も上手い善良な僧侶だったのに、ねじ曲がった野望を抱いたがために身を滅ぼしたのでした。ちなみにこの事件は後に河竹黙阿弥によって「日月星享和政談(じつげつせいきょうわせいだん)」という歌舞伎にもなりました。
日潤自身も、生まれは有名な歌舞伎役者の隠し子という説もあり、出家する前は歌舞伎役者のたまごとして修業していたとも伝わってます。
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