朝ドラ「ばけばけ」史実でトキとの関係は?松江中の生徒 小谷春夫のモデル、小泉八雲の愛弟子・大谷正信の生涯 (4/5ページ)
正岡子規。正信が彼に師事し、近代的徘徊が松江にももたらされた。
同大で正信は正岡子規に師事。翌明治30(1897)年に松江に帰郷すると、子規派の句会「碧雲会」を創設するなど傾倒を深めます。
近代的な英文学者と俳人としての歩み明治32(1899)年7月、正信は東京帝国大学を卒業。進路として選んだのは、教師としての道でした。
正信は私立郁文館や哲学館(のちの東洋大学)、真宗大学、洲本中学校などで教壇に立って後進を育成。明治41(1908)年に金沢の第四高等学校教授に就任します。
この頃の正信は、英文学だけでなく俳句において生徒たちに多大な影響を与えました。
金沢四高時代には室生犀星の青春期に俳句指導を行い、北陸の文学青年たちに確かな基礎を与えています。
しかし正信は、教職という立場で満足していませんでした。
明治42(1909)年か、正信は文部省留学生としてロンドン大学に留学。2年間の留学期間で英文学・英語音声学の知を深めました。
大正13(1924)年、広島高等学校教授へ転任。この頃から師であった小泉八雲の伝記を書く作業を始めています。
正信は翻訳家としては、師小泉八雲の作品に深く関わっていました。のちに正信は第一書房から『小泉八雲全集』で複数巻を担当しています。