朝ドラ「ばけばけ」実はヘブン先生の初婚は息子と3人暮らし――小泉八雲、アメリカでの悲劇的な結末 (3/4ページ)
マティの六歳になる息子も一緒に新しい住まいへ移り、三人家族として暮らし始めたことが、後年の紹介記事からわかります。
ただし、ふたりのあいだに子どもは生まれていません。信頼できる伝記サイトは、「この最初の結婚には子どもはいなかった」とはっきり記しています。
つまり、ハーンにとってマティの息子は「継子」という立場でした。
結婚は違法だったため、公にはごく親しい友人以外にはほとんど知らされませんでした。家の中では三人のささやかな家庭生活があり、外へ一歩出れば、法と社会から否定される関係という二重生活です。
この時期、ハーンは黒人労働者が暮らす川沿いの地区や、彼らの歌・言い伝えを生き生きと描いた記事を次々と書き上げています。マティ自身が語り手として、黒人コミュニティの暮らしや自分が見たという幽霊の話をハーンに聞かせていたことが指摘されています。
三人家族の生活と、黒人街の空気は、八雲の「周縁へのまなざし」をかたちづくる現場でもあったのでしょう。
しかし、幸せな日々は突然終わりを告げます。
1875年、新聞社シンシナティ・インクワイアラーが、2人の結婚を口実のひとつとして勤めていたハーンを解雇しました。
収入を絶たれた三人の生活は一層苦しくなります。生活の圧迫は、夫婦にも軋轢が生じたようで、別居と和解を繰り返すこととなりました。
結局、ハーンとマティの結婚生活は破綻。1877年には正式に離婚することになってしまいました。