もしも英雄・伊達政宗が“10年早く”生まれていたら、本当に天下を獲れていたのか?を検証・考察 (2/5ページ)

Japaaan

そして政宗が家督を継いだのは、18歳となった天正12年(1584年)。信長が本能寺で横死を遂げ、羽柴秀吉(豊臣秀吉)が織田政権を乗っ取り終えた後でした。

こうなるともう天下の趨勢は決まったようなもの。まだまだ毛利(中国)・上杉(北陸)・長宗我部(四国)・島津(九州)・北条(関東)と言った強豪は残っているものの、彼らが束になってかかっても秀吉を滅ぼすことはできなかったでしょう。

そして天正18年(1590年)。後は関東・奥州を残すのみとなった秀吉が北条征伐に乗り出すと、政宗は北条と共闘するか、秀吉に臣従するかギリギリまで悩んだと言います。

結局は秀吉に臣従した政宗ですが、秀吉が世を去ると五大老の一人・徳川家康に接近。その後関ヶ原合戦や大坂の陣において家康に与し、豊臣政権の滅亡後は徳川家三代(家康・秀忠・家光)に仕えました。

そして寛永13年(1636年)5月24日に享年70歳で世を去ったのです。

……確かに「天下を獲るには、生まれるのが遅すぎた」感が否めませんね。

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