もしも英雄・伊達政宗が“10年早く”生まれていたら、本当に天下を獲れていたのか?を検証・考察 (3/5ページ)

Japaaan

十年早く生まれていたら、どうなった?

十年あれば、伊達政宗はここまで領土を拡大できた?(イメージ)

それでは政宗が十年早く、弘治3年(1557年)に生まれたらどうなっていたでしょうか。

この年は織田信忠(信長嫡男)や千代(山内一豊正室)が生まれています。ちなみに信長は天文3年(1534年)、秀吉は天文6年(1537年)、そして家康は天文11年(1543年)生まれです。

この想定では、家康が世を去った元和2年(1616年)時点で50歳。寿命が史実通り70歳だった場合、まだ20年の余命があります。もし政宗にその気(天下を獲る野心)があれば、最後に乾坤一擲の勝負に出ることも不可能ではなかったでしょう。

家康だって慶長5年(1600年)関ヶ原合戦から15年の歳月をかけて豊臣政権を滅ぼしており、本気で天下を狙うなら、10年20年計画は覚悟で臨まなければなりません

もちろん、機が熟するまでに「天下を狙い得るだけの勢力基盤を形成し得たか」という問題はあります。

もし政宗が弘治3年(1557年)に生まれたとして、18歳となった天正2年(1574年)に家督を継承した場合、周囲の状況は概ねこのようになっていました。

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