日本史初の“女性切腹”——将軍・足利義政の乳母から罪人へ…今参局の栄光と悲劇的な最期 (3/5ページ)

Japaaan

その影響力の大きさから、いつしか義政の寵臣である烏丸資任(からすまる-すけとう)・有馬元家(ありま-もといえ)と共に三魔と呼ばれるようになりました。

三魔としての権力を振るい、幕政に関与

細川勝元/Wikipediaより

三魔とは、義政の治世初期に幕政に大きく関わった側近たちの総称で、「いままいり」「からすまる」「ありま」の3名いずれの名前にもまの音が含まれていることが、その呼称の由来とされています。

三魔として絶大な発言力を持った今参局は、宝徳2年(1450)に起きた尾張国の守護代人事において、一度解任された織田郷広を再度守護代に任命するよう義政に進言します。

この進言は管領・細川勝元の反対に加え、義政の生母・日野重子が嵯峨に出奔するという強い抗議も重なり、結果として受理されませんでした。とはいえ、この一件から今参局が自身の意見で義政が直接動くほどの強い影響力を持っていたことがうかがえます。

「日本史初の“女性切腹”——将軍・足利義政の乳母から罪人へ…今参局の栄光と悲劇的な最期」のページです。デイリーニュースオンラインは、今参局足利義政室町幕府日野富子室町時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る