日本史初の“女性切腹”——将軍・足利義政の乳母から罪人へ…今参局の栄光と悲劇的な最期 (4/5ページ)
そんな中、今参局の権威は長禄3年(1459)1月に起きたある出来事をきっかけに崩れ去ります。それは、義政の正室である日野富子の子が生まれて間もなくして亡くなってしまったことです。
この不幸な出来事に対し、世間では今参局の呪いによって、富子の子が殺されたとの噂が広まり始めました。この噂に重子や以前から今参局に反感を抱いていた守護大名たちが便乗し、追い込まれていきます。
その結果、今参局は琵琶湖の沖ノ島へ流罪とされました。そして、護送中に重子が放った刺客に襲撃されるも、重子に殺されるならばと自らで命を絶った方がましと考えたのか、切腹して命を絶ちました。
この一連の事件によって、今参局は不利な状況に追い込まれた末に無念の最後を遂げた人物として同情の目を向ける者も少なくなかったそうです。
