2026年大河『豊臣兄弟!』で注目の舞台──「本能寺の変」豊臣秀吉・秀長が天下に羽ばたくきっかけに【前編】 (2/6ページ)

Japaaan

明智光秀肖像(Wikipedia)

未だ究明されない本能寺の変の真実

1582年(天正10年)5月、居城の亀山城へ戻った明智光秀は、深い苦悩に苛まれていました。織田家中きっての英俊とうたわれた光秀は、つい数日前まで安土城で徳川家康の饗応役を務めていたものの、その任を信長から突然解かれてしまったのです。

さらに信長は、速やかに帰国したうえで、毛利家と対峙する羽柴秀吉を扶けるため、中国方面へ出兵せよと命じました。

国替えを命じられ苦悩する光秀主従。(絵本太閤記)

江戸中期に書かれた『明智軍記』によれば、出陣準備のため亀山城に戻った光秀のもとへ信長の使者が訪れ、「出雲・石見の二国を与える代わりに、丹波と近江志賀郡は召し上げる」という命を伝えたとされています。

しかし、この内容を記す史料は『明智軍記』のみであり、事実かどうかについては確証がありません。

「2026年大河『豊臣兄弟!』で注目の舞台──「本能寺の変」豊臣秀吉・秀長が天下に羽ばたくきっかけに【前編】」のページです。デイリーニュースオンラインは、豊臣兄弟豊臣兄弟!豊臣秀長本能寺明智光秀カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る