2026年大河『豊臣兄弟!』で注目の舞台──「本能寺の変」豊臣秀吉・秀長が天下に羽ばたくきっかけに【前編】 (2/6ページ)
未だ究明されない本能寺の変の真実
1582年(天正10年)5月、居城の亀山城へ戻った明智光秀は、深い苦悩に苛まれていました。織田家中きっての英俊とうたわれた光秀は、つい数日前まで安土城で徳川家康の饗応役を務めていたものの、その任を信長から突然解かれてしまったのです。
さらに信長は、速やかに帰国したうえで、毛利家と対峙する羽柴秀吉を扶けるため、中国方面へ出兵せよと命じました。
江戸中期に書かれた『明智軍記』によれば、出陣準備のため亀山城に戻った光秀のもとへ信長の使者が訪れ、「出雲・石見の二国を与える代わりに、丹波と近江志賀郡は召し上げる」という命を伝えたとされています。
しかし、この内容を記す史料は『明智軍記』のみであり、事実かどうかについては確証がありません。