2026年大河『豊臣兄弟!』で注目の舞台──「本能寺の変」豊臣秀吉・秀長が天下に羽ばたくきっかけに【前編】 (3/6ページ)

Japaaan

この信長の沙汰は、本能寺の変における光秀怨恨説の一つとしてしばしば挙げられます。だが、『明智軍記』の内容が信用性に欠けるとはいえ、全てを否定する必要はないと思われます。なぜなら戦国時代においては、未平定の敵地の攻略を条件に恩賞を与えることは珍しいことではなかったからです。

また信長は、出雲・石見を平定する前に丹波や近江志賀郡を取り上げるとは述べていません。さらに石見には、当時“世界の銀の3分の1を産出した”とも言われる石見銀山が存在していたことから、両国への国替えは必ずしも左遷とは言い切れないのです。

とはいえ、この件に関する光秀の心境は複雑だったに違いありません。同年3月の武田勝頼を討った甲州征伐の際、信長は数名の配下の大名を伴い、戦闘しながら先行する信忠軍の後を、まるで物見遊山のように進んでいます。その中には光秀も含まれていました。

光秀を打ち据える信長(Wikipedia)

この時、上諏訪の本陣で信長が諸将の面前で光秀を打ち据えて辱めたとする逸話がありますが、これは史実ではありません。

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