2026年大河『豊臣兄弟!』で注目の舞台──「本能寺の変」豊臣秀吉・秀長が天下に羽ばたくきっかけに【前編】 (4/6ページ)

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甲州征伐が終わると、一行は徳川家康の接待を受けつつ徳川領を通過して安土へ帰還しますが、この際にも光秀は信長に同行しています。

安土城での家康の饗応は、こうした礼に対する返礼として催されたものであり、その責任者として光秀を任じたことは、やはり信長が光秀に大きな信頼を寄せていた証といえるでしょう。

しかしながら、この頃から信長と光秀の間には何かしらの不協和音が起こっていた可能性は否定できません。おそらくはそれが、本能寺の変の原因となったことに間違いないでしょう。

ここでは、挙げられている諸説のうち、怨恨説以外で新たに唱えられるようになった説をいくつか紹介します。

長宗我部元親(Wikipedia)

その一つが、四国の長宗我部氏との関係をめぐるものです。光秀の家老・斎藤利三(としみつ)と長宗我部家の重臣が縁戚関係にあったこともあり、光秀は信長から長宗我部元親との和平交渉を命じられ、その調整を進めていました。

しかし信長はこの方針を突如転換し、四国征伐を決定します。これにより、光秀の立場が一気に危うくなったとされるのです。

また、甲州征伐後に光秀と信長の関係がぎくしゃくした背景として、光秀の武田家内通説があります。これは山崎の合戦後、利三の三男・利宗(としむね)が逃げ込んだ細川家で語ったという内容によるものです。

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