2026年大河『豊臣兄弟!』注目の舞台──豊臣秀吉・秀長、飛躍の契機「本能寺の変」の史跡を巡る【後編】 (5/9ページ)

Japaaan

谷性寺に残る光秀の首塚。(亀岡市)

伝承によれば、山崎の戦いで重傷を負った光秀は、重臣に「谷性寺の不動明王のそばに葬るように」と遺言し、自らの首を託したといいます。

もしこれが事実であれば、秀吉によって京都で晒された首は偽物ということになるのです。その真偽はさておき、この逸話からは光秀がいかに領民たちに慕われ、追悼されていたかがうかがえるのではないでしょうか。

亀岡から本能寺まで明智軍の進軍ルートをたどる

光秀の京都への進軍ルートは、旧山陰道をたどることとなります。その道筋は、基本的には現代の国道9号線に沿っているのですが、一部は東海自然歩道となるので、訪ねたいポイントを決めてから車やバスを利用するのがよいでしょう。

光秀の軍勢が越えた老の坂峠。

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