出初式が1月6日に固定された理由──江戸時代「明暦の大火」まで遡るその歴史と心意気 (2/4ページ)
明暦の大火…俗に言う「振袖火事」は武家の失火?はたまた都市計画のために幕府が仕向けたもの?
老中・稲葉正則(いなば まさのり)は「こんな時だからこそ、気勢を上げて復興の活力を湧き起こさねばならぬ」とばかり、定火消(じょうびけし。常設消防隊)4部隊を率いて上野東照宮へ赴きます。
「東照大権現もご照覧あれ」と出初を行ったのが1月4日。どんな苦境にあっても、御公儀は決して民衆を見捨てないというメッセージを受けて、江戸庶民は希望を取り戻したことでしょう。
以来、定火消による出初式は毎年の恒例となり、1月4日に上野東照宮で行われるようになったのです。
時は下って享保3年(1718年)に町火消(まちびけし。民間消防隊)が創設されると、定火消の心意気に負けじと1月4日に初出(はつで)を行います。定火消の出初と区別するためにこう呼びました。
町火消は大工や鳶職人などが多く参加していたので、各人の技量や度胸をアピールするはしご乗りや、景気づけの木遣唄(きやりうた)など賑やかに盛り上げます。
現代の消防出初式でも、はしご乗りや木遣唄を楽しまれているのではないでしょうか。
