出初式が1月6日に固定された理由──江戸時代「明暦の大火」まで遡るその歴史と心意気 (3/4ページ)

Japaaan

1月4日→6日→15日→6日に

年昌「消防組出初式之図」

かくして官民ともに新春の恒例行事となった出初や初出ですが、幕末の混乱期に入るとそれどころではなくなってしまいました。

出初式が復活したのは明治8年(1875年)1月4日。東京市内すべての消防組(町火消より改称。定火消は廃止)が東京警視庁練兵場に集合し、大いに盛り上がったということです。

三谷祥介『帝都消防出初式の今昔』によると、各区の消防組がはしご乗りを披露して技量を競い合い、終了後は大警視(警視総監)から酒肴が振る舞われて宴会という流れでした。

なお当時は慣例を踏襲するだけで、出初式の日程に関する規定がなかったため、警視庁で「消防出初式順序」を制定します。

それによると、出初式の日程は「毎年1月4日を基本とし、天候不良時は1月6日に延期。1月6日も天候不良であれば中止」とされました。4日から6日に飛ばしたのは、おそらく地面が乾く時間をとったのでしょう。

現代と同じく、1月6日に消防出初式が実施されるようになったのは大正5年(1916年)。戦時色が濃くなった昭和15年(1940年)から敗戦後の昭和27年(1952年)にかけて、1月15日に実施する時期があったものの、昭和28年(1953年)からは再び1月6日に戻りました。

現代では、自治体によって柔軟に変えているところもあるようです。

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