日本に初上陸したアメリカ人はペリーではなかった!誤解されている鎖国下の日本と外国の交流をまとめて解説 (2/4ページ)
この寄港は悪天候を理由に避難した形でしたが、住民とは水の補給などでやり取りがありました。船にはラッコの毛皮が積まれており、もともと日本との交易が目的だったそうです。
彼らは毛皮の交易を試みたものの、当時の日本では毛皮に価値がなく、交渉は成立しませんでした。11日間ほど滞在した後、船は去っています。
ごく最近の2016年にグレイス号の航海日誌が発見され、寄港地が雷公の浜であったことがはっきりしています。
現在、串本町にはこの出来事を記念する日米修交記念館が建てられ、JR串本駅前にはレディ・ワシントン号のブロンズ像が置かれています。
こうした記録から、日本とアメリカの最初の接触は決して軍事的なものではなく、交易を求める穏やかな出会いだったことがわかります。
出島から出ることは可能だった一方で、鎖国下の外国人の扱いについても、よくある誤解があります。
教科書ではよく「オランダ人は出島でのみ貿易を許された」と書かれますが、これは出島から一歩も出られなかったという意味ではありません。