江戸のインフラは先進国レベル!近代化に出遅れたはずの江戸時代、実は産業技術の高さにペリーも驚いていた (3/6ページ)

Japaaan

伊丹の古い酒蔵

また西陣や尾張・足利・桐生などでは、多くの織機と奉公人を抱える大きな織屋が登場しています。

鎖国政策は究極の保護貿易だったため外国製品がほとんど入って来ず、かえって国内の産業がしっかり育ったのだと言えるでしょう。

当時は農村では荒廃が進む一方で賃金労働が一般化し、商品生産は資本主義的な性格を帯びてきました。

幕府は天保の改革で人返しの法を出し、都市の労働者を農村に戻そうとしましたが、これはすでに時代の流れに逆行するものだったのです。

一方、長州や薩摩などの改革藩は専売制を採用したりや藩営工場を設けたりして、積極的に工業化を推進しました。

薩摩では反射炉やガラス工場、造船所を建設しています。また幕府も江川英龍の進言で、一八五七年に韮山反射炉を建造しました。

「江戸のインフラは先進国レベル!近代化に出遅れたはずの江戸時代、実は産業技術の高さにペリーも驚いていた」のページです。デイリーニュースオンラインは、江川英龍ペリー鎖国幕末江戸時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る