「幕末期の金流出=幕府の失策」は本当か?!史料をもとに“100万両流出”の真偽を検証 (3/4ページ)

Japaaan

金貨の持ち出しも期間限定とされ、無制限ではなくなります。

そんなこともあり、実際に日本国内から金が流出した期間は、開港から翌1860年1月までの約8か月間に集中していました。

江戸城で火災が起きた際には交換が一時停止されたこともあり、実質的な流出可能期間はもっと短かったと考えられています。

どのくらい流出したのか

また、実際に流出した量についても誤解があります。

かつてはこの流出金額について「100万両」という大きな数字が語られていましたが、近年の研究ではこの数字は大幅に修正されています。

50万両説、30万両説を経て、現在ではジャーディン・マセソン商会などの史料から、10万両から15万両程度が妥当とされているのです。

現に、教科書でも今では「1万両以上が流出した」と控えめな記述に変わっています。

そもそもこの問題は、1860年の万延小判への改鋳によって解決していました。従来の天保小判に比べて金の含有量を大幅に減らしたことで、日本国内の金銀比価を国際水準に近づけたのです。

万延小判(Wikipediaより)

これにより、金のさらなる流出はほぼストップしました。

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