【豊臣兄弟!】徳川家康(松下洸平)の妻になる豊臣 妹・あさひ(倉沢杏菜)との出会いと儚い結婚の結末 (4/7ページ)

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そこで、秀吉はあさひの夫・日向守に500万石の加増を条件に離婚をさせたとか。

あさひと日向守の心中はいかばかりだったか……想像するしかありませんが、あさひとしては兄秀吉の命を受け、敵対勢力の大将のもとに嫁ぐという重責から、逃げたり自分の希望を述べたりなどはできなかったことでしょう。

夫・日向守は、その後に自殺した、剃髪して隠居したなどの説がありますが、本当のところは定かではありません。

当時の家康は多くの側室を抱えていたものの、正室の築山殿を家臣に殺害させた後、正式な正室を置いませんでした。そこで、秀吉はあさひを家康の正室に(事実上の人質として)嫁がせたのです。

ただし、最近では、家康のほうからあさひを望んだと言う説もでてきているようです。

※小牧・長久手の戦い:天正12年(1584)3月〜11月にかけて、羽柴秀吉陣営と織田信雄・徳川家康陣営の間で行われた戦い。

「落ち着きのある家康だ!」との声も。NHK大河「徳川兄弟!」公式サイトより

短かった家康との結婚生活で幸せな時はあったのか

天正14年(1586)5月ごろ、あさひは浅野長政・富田知信・津田四郎左衛門・滝川儀太夫などの豊臣の家臣らを従え150名あまりの花嫁行列で京を出発。三河西野を経て、浜松に入り、家康の正室として嫁ぎました。

当時、家康は45歳、あさひは44歳。ほぼ同じ歳。嫁いだあと、あさひは、朝日姫、駿河御前と呼ばれるようになりました。

結婚してから2年ほどたった頃、病になった母・なか(大政所)のために大坂へ戻ります。

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