“甲賀忍者”の読みは「こうが」じゃない!正式な読みと伝説の忍者集団の正体と起源を解説 (3/5ページ)

Japaaan

「甲賀(こうか)忍者」の起源

名所「甲賀流忍術屋敷」

この甲賀郡の甲賀忍者は、同じく忍者の里として有名な伊賀と隣接する地域で生まれました。

ほかの忍者集団とちがう甲賀の特徴は、領主とゆるやかな主従関係を保ちながら、半独立の勢力として自治を行った点にあります。

戦国時代の甲賀ではという自治組織が発達していました。

親族単位の同名中惣から郡全体の甲賀郡中惣まで階層的に組織され、話しあいで物事を決めるシステムがしっかり確立されていたのです。

この団結力が、外部の勢力に飲み込まれずに独立性を保つ基盤となったのでしょう。

甲賀郡には大小200ほどの陣地が存在しました。これは城というよりは、丘の上に土塁と館を備えた構造で、1辺50〜100mの正方形の丘に高さ3mの土塁をめぐらせ、攻め落としにくくなっていました。

周囲に同じような陣地が点在していたので、敵は主力の位置を特定しにくいという利点もあったようです。

また甲賀の山々には薬草が多く、薬僧の多賀坊朝熊坊の系統が薬と山岳信仰を広めていました。

「“甲賀忍者”の読みは「こうが」じゃない!正式な読みと伝説の忍者集団の正体と起源を解説」のページです。デイリーニュースオンラインは、甲賀郡甲賀市甲賀忍者カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る